無気力型が育つパターン
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立ち直る道
当塾では『自主学習能力の育成』という指導目標をかかげ、毎日の学習指導を通じて、その実現を目ざしいます。
そして、その具体的な第一歩のステップとして、『態度育成』つまり自主的で積極的な学習態度の育成こそが学習の基本であると考えています。
人がとるさまざまな態度や行動は、その人が意識するしないにかかわらず、その人のそれまでの人間関係が大きく影響をしています。中でも特に、生まれてすぐに接し、生命をゆだねる父母とその家族の人間関係が非常に大きな影響を与えます。
家族を中心とする人間関係がその人の他人や社会に対する態度の原型を作り、態度が性格をつくり、性格が能力の発揮に影響を与えます。もちろん人間の態度や性格、行動は一生固定したものではないということは述べておきますが。
そこで親子のさまざまなタイプを通して、父母を中心とした人間関係とそれが性格や能力に与える影響について考えてみましょう。ここではそれぞれのタイプを大まかに次の7つに分けました。
(1)甘やかされ型
(2)わがまま型
(3)無気力型
(4)反抗型
(5)無知型
(6)我流型
(7)自立型 人間関係と性格について前回は、過保護的な人間関係から育つ甘やかされ型とわがまま型について述べました。
今回は、まわりの人の過(か)干渉(かんしょう)によって育つ無気力型について考えます。
無気力型が生まれるパターン家庭でC君は、ある共稼ぎ家庭の子です。お母さんは、会社でもかなり重要な位置にあるバリバリのキャリアウーマンです。
仕事をしながらの子育てはお母さんも大変です。責任ある立場にいるため、夕食のあとに持ち帰った仕事をしたりすることもたびたびです。サービス業のため日曜祭日も勤務があります。
こんな状態でしたから、C君とゆっくりすごす機会があまりありません。いつも時間に追われているお母さんは、C君と話をするときも手短に用件や結論だけを言います。それは親子の会話というよりまるで、会社の部下に仕事を指示しているようなやり方です。
C君は、自分の考えや意見を聞いてもらう時間があまりありません。何か考えを言っても、大人であるお母さんからみて、未熟な考えであるため、いつも「あなたの考えより、お母さんの言うようにした方がいいわよ。」と、お母さんが自分の考えを押しつけて終わりです。
部下の意見を真剣に聞こうとせず、自分の考えを押し付ける上司はどこの会社にもいます。こういう上司についた部下は大変です。自分の意見を言っても、「ここがまずい、あそこが足りない」と批判ばかりで、なかなか取り上げてもらえません。
こういう職場では、仕事について積極的に考える部下が育ちません。自分の意見も言わず「言われたことだけやっていればいい」という投げやりな仕事の仕方になっていくのが普通です。
そんなお母さんの子育てに対し、お父さんも時々自分の考えを言います。しかしお父さん自身も仕事が忙しく、仕事+家事を引き受けているお母さんに対してあまり強いことも言えず、結局、C君の教育はお母さんに任せっぱなしでした。
自分のやりたいことや、言いたいことをあまりとりあげてもらえず、母親から強く押さえつけられてばかりいる中で、C君はしだいにやる気と行動力を失っていきました。
無気力型が強化されるパターン
C君は、家庭での人間関係の中で、
「自分が何か意見を言っても誰も聞いてくれない」
「何か言ってもどうせお母さんの言うとおりにさせられてしまう。」
「考えたり言ったりするだけむだだ。それより最初から人の言うとおりにしていた方が楽だ。」
という考え方をもつようになりました。
そんな考えを持っていますから、学校でも同じように振舞います。
勉強も自分から考えることは苦手です。授業で意見を求められても何も言いません。先生に言われたことには従順に従いますが、自分から進んでやるわけではないので、何をやるにも積極性や創意工夫というものがまるでありません。
勉強でわからないところがあっても、自分から質問するということをしません。こんな態度でしたから、学年が上がるにつれてわからないところがどんどん増えていきます。
担任になった先生の中にもC君のやる気のなさを気にかけてくれて色々対応してくれた人もいました。
授業以外でも居残りで勉強を見てくれたり、いろいろ話を聞いてくれたりしましたが肝心のC君の状態を変えるところまではできませんでした。それに、忙しい仕事の中ではなかなかC君一人にかかわっているわけにはいきません。そのうちに1年が過ぎ担任が変わってしまう、ということを繰り返していました。
無気力型が強化されるパターン
さて、C君のお母さんです。お母さんは、学校のテストなどの結果については強い関心を持っており、C君が悪い点をとってくると強く叱ります。
ここでも、会社で成績の良くない営業社員を叱咤激励する上司のようなやり方をします。
実は、お母さん自身も中間管理職という立場のため、日ごろから、仕事の成果を具体的な数字で求められています。
そのような仕事のやり方の中で成果を上げて重要な位置についたお母さんは、C君の勉強に対しても同じような考え方で接したのです。
「こんな点で悔しくないの。」
「結果が悪いのは勉強しないからよ。とにかく勉強しなさい。」と言い続けるお母さん。
勉強を一緒に見てわからないところをわかるように教えてくれるわけでもなく、ただテストの点数だけ見て叱られるC君。
点数の低いテストでも良く見れば、努力のあとが見えるものです。以前できていなかった計算ができていたり、○はつかなくても途中までは合っていたり、あるいは以前はテスト前でも何もしなかった子が、今回は教科書を読んでいたりとか…。
何よりも結果が重視される仕事の中で、忙しいお母さんにはそれを見る余裕がありませんでした。
C君も心の底ではお母さんに認められたい、ほめられたいという気があるのです。でも、勉強へのやる気や自分で考える習慣がもともと少ない(少なくなるように育てられた)C君は、学習が高度になるにつれてしだいに成績が下がっていきます。
その結果ますますお母さんに叱られてばかりということになり、そのうちテストを隠すようになります。テストだけではありません。授業参観の通知や色々なお知らせも見せなくなりました。
おかしいと感じたお母さんが机やカバンを探すとひどい点数のテストや、期限の過ぎたアンケートやプリントがたくさん出てきます。みな、くしゃくしゃに丸めてありました。
それを目の前に、お母さんから強くしかられたC君は、そのときはしぶしぶ机に向かって勉強のマネごとをしたのですが、そのうちお母さんがいくら叱っても何やかやと理由をつけて勉強をしなくなりました。
誰にも自尊心があります。それは勉強に自信のない子でも同じです。というより、そういう子ほど、普段から自尊心を傷つけられることが多いので、そういうことにはいっそう敏感です。
このような場合、本人が心の底で恐れているのは、『自分がダメな人間だ』と決定的な烙印(らくいん)を押されることです。
それで、「テストの点が悪いのは勉強しないからで、自分の頭が悪いからじゃない。」そんな言い訳を自分で作っているのです。これは表面の意識には浮かび上がってきませんから、本人も気がつかないことです。