2006年03月22日

無知型(1)

放任と無知(2)

こうしてE君は幼児の時、人から十分に話しかけられるという経験も、ハイハイやヨチヨチ歩きも十分にできませんでした。少し大
きくなっても、絵本を読んで聞かせてもらったり、積み木で遊ぶという経験もせずに育ったのです。

話しかけられることが少なく、テレビばかり見て育つことの弊害(へいがい)はさまざまに報告されています。

幼児が言葉を覚えていく過程を考えて見ましょう。

お母さんが赤ちゃんに「○ちゃん、ママ、ママよ」と話しかけ続けると、そのうち赤ちゃんがまねをして「ママ」といいます。お母さんはニコニコ喜んで、もっと顔を寄せて「ハーイ、なあに」と返事をします。こういうことをくり返す中で、赤ちゃんの脳に、お母さんのイメージと「ママ」という言葉が結びつきます。それに何よりも、自分が発した言葉にママがうれしそうに反応したことが分かり、周りの世界と自分との結びつきを意識できます。

これがテレビの場合はどうでしょう。テレビが出す音声を赤ちゃんがまねします。しかしテレビは何も答えず、勝手に番組が進むだけです。こうしたことを何度もくり返すと、赤ちゃんはしだいに「言葉はただの音と同じだ。何の意味も無い。」という間違った学習をしてしまいます。もちろん言葉とか音などという意味はまだ理解しているわけではありませんが、自分が何か言っても、周りの世界はそれに関係なく動いているというイメージを持ってしまいます。 
このようにして育った場合、後でお母さんが話しかけても、本人にとってはそれは単なる音に過ぎなくなり、人間の知力のもとになる言語能力の発達が遅れることになります。

身体を必要な時期に必要なだけ動かすことは、目や耳などの感覚器、手足の運動器、神経系の発達に不可欠です。

例えば、ハイハイを十分にしないと、中脳という脳の一部が発達せず、中脳がコントロールしている目の動きが阻害されるということが起こります。その結果、学童期になって文字が読めない、飛ばし読みをする、書いてない字を勝手に読むなどということがおこりやすくなりますし、読解力を欠いた学習は成り立ちません。
(続く)
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2006年03月15日

無知型(1)

放任と無知

今まで、過保護的な人間関係から育つ2つのタイプ(甘やかされ型・わがまま型)と過干渉から育つ2つのタイプ(無気力型・反抗型)について考えました。
過保護と過干渉の両者に共通するのは『かまいすぎ』です。しかし、これはあくまでかまいすぎであって、両親が子どもをかまわない、ほったらかしでいいかというと、それはそれで問題があります。

人間をほったらかしにして勝手にさせておいて自立できるかというと、そうはなりません。
教育関係の大学に進むと、人間がほったらかしにされて育てられるとどうなるかという例で、オオカミに育てられた子」とい話を学びます。
 未開の地域で、そういうケースがいくつかありますが、そういった子どもは、人間の言葉が理解できない、話せない、立って歩けないといった悲惨なことになります。

動物と人間のもっとも大きな違いは、「人間は知能が発達している」ということですが、その知能は言葉の習得にしたがって発達します。言葉が理解できなければ知能も発達しません。
 オオカミに育てられた子供が、まだ幼いうちに助け出されて人間社会に連れ戻されればやり直しがききます。しかし、8歳前後を過ぎてからだと、言葉さえ満足に覚えらず、人間として生きていくことができないそうです。
人間の基本的能力である直立歩行も、コミュニケーション手段としての言葉も、決して本能的(生まれつき)なものではありません。
これらは潜在的能力と本人の努力に加えて、両親を中心とした周囲の人の献身的教育によって獲得されていくのです。

つまりヒトに生まれても、人間社会の中で、人の手によって人間教育と学習がされなければ、人になることはできないのです。このことからも、人間形成において、誕生後の環境や教育がいかに大切かということが考えられるでしょう。また、オオカミに育てられた子として有名なカマラの例のように、9年かかっても人間の能力が育たなかった事実から、 人が、その必要なときにそれにふさわしい教育を受けなかったり、間違った教育を受けたりすると、その後の発達が妨げられるということがわかります。そして、そうなってしまってからそれを取り戻そうとしても、うまくいかない場合が多いと言えます。

今回は『かまいすぎ』の反対である『放任』から育つ2つのタイプのうち、無知型について考えます。

無知型が生まれるパターン


家庭で

E君が生まれてすぐ、お父さんは海外に長期の単身赴任を命じられました。お母さんも新築した家のローンのために、E君がまだ1歳になる前に仕事に復帰しなくてはなりませんでした。

幼児だったE君は近所に住む祖母に預けられ、お母さんが帰りに引き取りに来るという毎日でした。

おばあちゃんは高齢で、あまり身体が動かないことに加えて、少し耳が遠いため、E君の相手が十分にできませんでした。それで、食事以外はE君を抱いてテレビの前に座り、ずっとテレビを見ているという毎日でした。
(続く)
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2006年02月15日

4. 反抗型(2)

中学校で

この頃から、D君は身体が大きくなり、中学に入るときには、お母さんを上回る体格になりました。目線がお母さんを見下ろすようになるとともに、反抗的な態度が表に出るようになってきました。

部活は野球部に入りましたが、そこでも先輩の命令口調が我慢できず1年の夏休み前に退部してしまいました。

その頃には、お母さんが何を言っても聞かなくなり、夏休みを境に、同じような子どもたちと夜遅くまで遊びまわり、学校でも持て余すような反抗を繰り返す子どもになりました。

D君のこういった行動や性格の背景には、幼児期からのお母さんのかまいすぎ(過干渉)があります。

この記事では、親の過保護によって育つ甘やかされ型とわがまま型、過干渉によって育つ無気力型と反抗型について考えてきました。

これらの問題がやっかいなのは、甘やかしたり、抑えつけたりしている人間が、自分がそういうことをしていることになかなか気がつかないということです。

D君のお母さんも、自分がD君を抑えつけ、心の健全な発達をゆがめているなどということは夢にも思っていませんでした。

ただ、D君に自分が思っている理想(に近い)の人間になって欲しい、そうなることがD君にとっても幸せに違いないと考えたのです。その思いが強すぎることをのぞけば、これはたぶんすべての親がわが子に対して抱いている素直な感情でしょう。国が違っても、あるいは時代が違っても人間の親である限り、子どもの幸せを願わない親などいるはずがありません。

ただ、D君の母親はその思いが強すぎたのです。そのために何冊もの教育書を読みました。D君を本に書かれているような理想的な人間に育てることが、自分の務めと思い込み、D君のやることにいちいち口を出したのです。

実は、お母さんがこういう子育てをした裏には、お母さん自身に関係する背景もあるのですが、D君の話を続けましょう。

将来
こんなD君は、社会に出てどんなことになるでしょう。
このままだと、非行グループに入り、そのまま反社会的な存在になってしまうかもしれません。
ここにあげたのは、反抗型の人間が育つ、あるひとつの極端なパターンです。

私たちは、中学、高校の歴史で、次のようなことがあったことを学びました。

独裁者が、武力や経済力で民衆を抑えつける。

表面上おとなしく従っている民衆の中に、反発するグループが育つ。

独裁者の力にかげりが見えたとき、民衆が立ち上がって独裁者を倒す。


こうしたことは、有名なフランス革命や、ロシア革命だけでなく、国や地域を問わず地球上のあちこちで、何度も何度もくり返されてきました。
歴史上の話ではなく、国によっては、今現在でも独裁者が君臨し、大多数の国民が自由を奪われ、貧困にあえいでいるところがあります。
実は、私たち一人ひとりの心も同じなのです。人が他の人を抑えつけ、自分の思い通りにしようとすると、抑えつけられた人の心の奥に反発する気持ちが育ちます。それは親子の関係であっても例外ではありません。むしろ四六時中生活を共にする親子であればこそ、深刻な問題に発展することがあるとも言えます。
幼いうちはたいしたことにはなりませんが、そうした抑えつける対応が長く続くと、成長とともにそれが増幅され、やがて火山の爆発のように表面に出てくる場合があります。
その反発は抑えつけていた人にとどまらず、抑えつけていた人が参加している社会そのものへの反抗という形をとることがあります。
反社会的行動をとるもとは、こういったところにもあるのです。
そして、

問題を起こす

周囲から問題児のレッテルを張られる

周囲に敵意を持ち、さらに問題行動を起こす

周囲が力で抑えつけようとする

さらに反発する


このような悪循環におちいっていくケースも多いのです。

反抗型から抜け出す道


反抗的な人間は、他の人から抑えつけられることに一種の恐怖心を持っています。

「おとなしくしていたら自由を奪われる。反発しなければ人の思うとおりにさせられて、自分が消えてしまう。」という恐怖心です。

D君のような場合、お母さんがD君を自分の思いのままにしようとして、その行動にいちいち干渉するタイプだったのですが、社会のみんながみんな、そんな人ばかりではありません。

D君が責任ある行動をとれば、認めてくれる人はいくらでもいるものです。D君がそのことに気がついて、素直に物事を見れば、この世は完全ではありませんが、それなりに自分の生き方を貫けるということが分かるでしょう。

さて、現在のD君に対して、周囲の人たちはどう接すればいいでしょうか。

それは、D君の人格と行動を区別して、問題児という先入観で見るのをやめるべきです。

ことさらに憎むこともなければ、同情することもないのです。下手な同情は、その人を特別視することになります。同情された側から見れば、「自分が下に見られている」と感じ、かえって心を傷つけることになりがちです。まわりの人から同情されていると知って、うれしくなる人は余りいません。

良くない行動は良くない行動ですし、良いことは誰がやっても良いことです。
悪い行動はたしなめればいいし、良い行動は認めてほめればいいのです。そうすれば、本人が自分の行動に気づき、年齢を重ねるとともに社会に順応するようになるでしょう。
「俺もバカなことをやってたなぁ」ということぐらいのことで済むかもしれません。

(反抗型終り。次回は放任から育つ無知型です。)

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posted by 日々 学 at 15:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4. 反抗型(1)

当塾では『自主学習能力の育成』という指導目標をかかげ、毎日の学習指導を通じて、その実現を目ざしいます。
そして、その具体的な第一歩のステップとして、『態度育成』つまり自主的で積極的な学習態度の育成こそが学習の基本であると考えています。
 人間関係と性格について前回は、過保護的な人間関係から育つ甘やかされ型とわがまま型について述べました。
前回は、まわりの人の過干渉(かかんしょう)によって育つ無気力型について述べましたが、今回は同じ過干渉によって生まれる反抗型です。



反抗型が生まれるパターン

家庭で
D君は、前回のC君と同じように共稼ぎの家庭で育ちました。忙しいお母さんに代わって一時期、父方の祖母に育てられた時期もあったのですが、おばあさんのやり方を気に入らなかったお母さんが、結局自分で育てることになりました。

多くの母親と同じように、教育熱心なお母さんは、D君を理想的な子どもに育てようと思いました。そのため教育書やテレビで得た知識をもとに色々細かいことにまで口を出します。
このあたりも、前回のC君のお母さんと同じ対応です。

D君も時々反抗するのですが、そうするとお母さんは長々と説教します。もちろんお母さんは説教などしているとは思っていません。D君の考えの足りないところを教えてあげているつもりです。しかし、D君にすれば、お母さんには理屈ではとてもかないませんから、いつも自分の考えは何も聞いてもらえず、結局お母さんの言うとおりに決まってしまいます。

こうした中で、D君はお母さんの言う通りに従う、素直ないわゆる「いい子」になっていきました。
「いい子」とは言ってもそれはお母さんから見て「親の言うとおりに素直に行動するいい子」という意味で、D君の心の中には、「いつもお母さんに言い負かされて、自分の考えどおりにやれない」という声にならない意識が心の奥に生まれ、だんだん色々なことに気力を無くしていきました。

お父さんもおとなしい人で子育てはお母さんの言いなりです。

人間は、物を作るようにはいきません。設計図をもとに模型を組み立てたり、レシピをみて料理を作るようにはいきません。たとえ親子であっても、一人の人間を自分の思うとおりに育てるなどできるものではないのですが、お母さんはこのことがわかっていなかったのです。

小学校入学前のD君はお母さんの決めたスケジュール通り、決められた洋服を着、色々なおけいこ事に通う毎日でした。

小学校で
D君が小学校に通うようになりました。
学校でのD君は、どちらかと言うと先生の言う通りに行動する従順な子どもです。低学年のうちは、担任の先生もそれほど問題はないと思っていました。

3年になって、お母さんの決めた塾へ入りました。お母さんはD君を私立中学、できれば名前の知れた中学に入れるつもりで、そのためにはそれなりの進学塾へやらなければと思ったのでした。

塾の先生はD君を指導しているうちに、妙なことに気がつきました。

それは、D君が、先生の指示したことが時々できないことでした。ここで、できないというのは問題が分からなくてできないと言うのとは違います。指示した事と違ったことをやってくると言うことです。

たとえばD君が間違った問題について、きちんと考えさせようと思って、先生が図をかいてくるように言っても図をかいてこない、「勘違いしたのだろう」ともう一度「先ほどの問題の図を描いてくるように」と言うと、「はい」と返事はするのに今度は違うページの問題をやってくる、といった具合です。

こういうことが何度もあったため、先生は、お母さんに「D君は先生の言うことをきちんと理解できないことがあります。」と言いました。驚いたお母さんは「そんなはずはない」と思いました。どうしてこんなことがおこったのでしょう。

塾で

幼児期、お母さんとの人間関係の中で、表面上人に抑えつけられ、人に従うことになれてしまったように見えるD君ですが、その深層には『人に言うとおりになるのはいやだ。人に言う通りになっていると自分が自分でなくなる。』という考えが育っていたのです。

それが、学校の先生と違って、学力向上という目的がよりはっきりしていて、それを達成させるために「何々しなさい。」というような指示命令が多くなる塾の先生に対して表に表れたのです。

だから先生が、「右向け」と言うと、無意識のうちに左を向くようなことをやるのです。自分でもなぜそうするのか分からないのに、ついそうしてしまうのです。
これが無意識の働きでやっかいなところです。

いじめのグループに
そして小学校高学年になった頃、お母さんは学校の先生からD君が、クラスの女の子をいじめているグループに入っていることを知らされました。

人から抑えつけられている人間は、その鬱憤(うっぷん)を自分より弱い人間に向けることがあります。D君も無意識のうちに、幼いときからお母さんに抑えつけられていたうっぷんを、クラスの比較的おとなしい女の子をいじめることではらしていたのです。
驚いたお母さんは、D君を強く叱りつけました。すると高学年になっていたD君は、今までに見せたことのないような反抗的な態度をとりました。
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過保護な?コウノトリ

1月9日、NHKの「わくわくラジオ」で聞いた話です。

山田敦子アナウンサー
タイトル『より鳥み鳥の鳥ばなし (3)』 
ゲスト 山岸哲氏(山階鳥類研究所所長)

タイトルの通り、鳥類の面白い生態、鳴き声など紹介していました。
その中でこんな話がありました。

コウノトリを保護して自然に放す運動をしている人たちがいるそうです。残念ながら運動自体の内容は、前回の放送で話されたそうで詳しくはわかりませんでしたが、コウノトリは5羽無事に育てられ、飼育小屋から自然の中へとびたったそうです。

ところが、しばらくして5羽のうち4羽がもとの飼育小屋に戻ってしまったそうです。自然の中で自由に生きるより、食べ物の心配と外敵に襲われる心配が無い飼育小屋の方を選んでしまったわけです。それ以来4羽はそこに住みついてしまったそうです。

さらに、小屋に戻らなかった1羽ですが、近くの林で地上に寝ていたそうです。
野生のコウノトリは野犬などから身を守るため、松の木の枝に止まって寝るそうです。

そのため、飼育小屋ではもちろん、自然に放したときのことを考えて、夜は松の枝で寝るようにしつけていたそうですが、これではせっかく自然の中に残った1羽も生き残ることはできません。

山田アナウンサーは「松の枝がチクチクしていやだったんですかね。」と言っていました。

山岸氏によれば、今後はえさのドジョウを少なくして、自然の中でエサをとらざるをえないように仕向けていくということでした。

まさに、このシリーズの最初に述べた「甘やかされ型」を見る思いがします。育て方によって、社会で生きられない人間を育て上げてしまう例として、興味深く聞きました。
posted by 日々 学 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3. 無気力型(2)

社会で
C君のようなタイプは、自分から積極的に何かをしようとしません。職場でも上司が命令することをただこなせばよいという生き方をするでしょう。これではおざなりの仕事にしかなりませんから、まわりから信頼されませんし、仕事から学ぶこともありません。

ただ、定職に就くことができれば立ち直りのチャンスは増えます。仕事ではうまくいかないことが多々あります。その解決に苦労する中で、それまでの自分の生き方に気づくことがあるでしょう。

深刻なのは仕事をする気も起きないくらいの無気力型です。学校に行くわけでも、仕事をするわけでもなく、親のすねをかじって生きている若者たちをニートと呼んでいますが、今このニートが増えて社会問題になっています。このようなケースについては別の機会に述べたいと思います。

無気力型のサイクル


ここにあげたのは、無気力型の人間が育つひとつの極端なパターンです。周囲に強圧的な人がいて、この人の自主性を抑えてしまうわけです。こういう育ち方をした人の問題の解決方法は次のようになります。

問題が生じる

解決を考えるが、それを否定される。

そして別な解決策を押し付けられる

この繰り返しの中で、自分で考えて解決する意欲をなくす。

問題が生じる

誰かが指示してくれるのを待ち、それに従う

本人の成長とともに問題も大きくなる

解決できない


このようにして、自分で努力をしてもムダだということで努力を放棄し、他の人の精神的奴隷となっていきます。

黒澤明の作品に『生きる』という名作があります。無気力な生き方をしてきた市役所の課長が、ガンであと少ししか生きられないと宣告され、初めて自分の生き方に目覚めるという内容でした。

映画の始まりは男の仕事ぶりにダブって、「この男は死んでいる…」というナレーションからでした。この男は、残りの時間を人々のために少しでも役に立とうと、町に小さな公園を作るということに使います。人は奴隷精神では本当に生きたとは言えないということを示した名作でした。

無気力な人間は、それまでの人間関係の中で「自分はだめな人間だ。努力しても無駄だ。」「努力もできない人間だ」と思い込まされてきました。だから努力をしません。
本当の努力は自分からするものですが、無気力な人は、「努力とは他の人から強制されてやること」、「努力=つらいこと」と考えています。


無気力から立ち直る道


C君のような場合、お母さんはどうすべきだったでしょうか。

有能で人一倍仕事ができるお母さんから見れば、C君が考えたりやったりすることは、考えが幼稚だったり、ムダが多かったりと、けして優れているとは言えないでしょう。

お母さんからすれば、「そんなのダメよ、それよりこうすれば…」というところがたくさんあるでしょう。

でも、危険があるようなことをのぞいて、少しばかり考えが足りない場合でも、C君の意見を聞くべきなのです。そして、まずい点を見つけて指摘するより、C君が自分で考えたことを認めることの方が先です。大人から見てどんなに考えが足りない意見でも、どこかに認める点はあります。その点を認めるべきです。

そうすればそのことに勇気を得て、次の機会にはもうすこし考えるようになるでしょう。もし結果が悪くても、自分の考えでやったことですから納得がいきますし、反省もできます。そのことから学ぶことができるでしょうし、それは次の機会に生きることでしょう。

どうしてもまずい考えや行動なら、「こうしろ」という指示命令ではなく、C君が自分で考えてまずいところを修正できるように助言できるといいでしょう。このようにすれば、C君は自主性を持った人に育つでしょう。

現在のC君、無気力になったC君にはまわりはどう接すれば良いでしょう。

それは、結果より経過を重視する姿勢で接すべきです。

「あなたが前より努力したことはお母さん良く知っているわ。今回は結果が出なかったけれど、あなたがした努力は、お母さんはえらいと思う。それを続ければ、結果は良くなるわ。…」

正しい努力を続ければいつかは結果がでます。そのときまわりが、その結果を本人の努力と結びつけて評価することを続ければ、本人の心に
『自分はだめだと思っていたけれど、ちゃんと努力すれば自分だってできるんだ』という考え方が生まれます。
こういうふうに接すれば、人は無気力から抜け出すでしょう。

次回は「反抗型」について考える予定です。
posted by 日々 学 at 15:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3. 無気力型(1)

無気力型が育つパターン

↓ ↓

立ち直る道


当塾では『自主学習能力の育成』という指導目標をかかげ、毎日の学習指導を通じて、その実現を目ざしいます。
そして、その具体的な第一歩のステップとして、『態度育成』つまり自主的で積極的な学習態度の育成こそが学習の基本であると考えています。

人がとるさまざまな態度や行動は、その人が意識するしないにかかわらず、その人のそれまでの人間関係が大きく影響をしています。中でも特に、生まれてすぐに接し、生命をゆだねる父母とその家族の人間関係が非常に大きな影響を与えます。

家族を中心とする人間関係がその人の他人や社会に対する態度の原型を作り、態度が性格をつくり、性格が能力の発揮に影響を与えます。もちろん人間の態度や性格、行動は一生固定したものではないということは述べておきますが。

そこで親子のさまざまなタイプを通して、父母を中心とした人間関係とそれが性格や能力に与える影響について考えてみましょう。ここではそれぞれのタイプを大まかに次の7つに分けました。

(1)甘やかされ型
(2)わがまま型
(3)無気力型
(4)反抗型
(5)無知型
(6)我流型
(7)自立型



 人間関係と性格について前回は、過保護的な人間関係から育つ甘やかされ型とわがまま型について述べました。
今回は、まわりの人の過(か)干渉(かんしょう)によって育つ無気力型について考えます。


無気力型が生まれるパターン

家庭で
C君は、ある共稼ぎ家庭の子です。お母さんは、会社でもかなり重要な位置にあるバリバリのキャリアウーマンです。

仕事をしながらの子育てはお母さんも大変です。責任ある立場にいるため、夕食のあとに持ち帰った仕事をしたりすることもたびたびです。サービス業のため日曜祭日も勤務があります。
こんな状態でしたから、C君とゆっくりすごす機会があまりありません。いつも時間に追われているお母さんは、C君と話をするときも手短に用件や結論だけを言います。それは親子の会話というよりまるで、会社の部下に仕事を指示しているようなやり方です。

C君は、自分の考えや意見を聞いてもらう時間があまりありません。何か考えを言っても、大人であるお母さんからみて、未熟な考えであるため、いつも「あなたの考えより、お母さんの言うようにした方がいいわよ。」と、お母さんが自分の考えを押しつけて終わりです。

部下の意見を真剣に聞こうとせず、自分の考えを押し付ける上司はどこの会社にもいます。こういう上司についた部下は大変です。自分の意見を言っても、「ここがまずい、あそこが足りない」と批判ばかりで、なかなか取り上げてもらえません。

こういう職場では、仕事について積極的に考える部下が育ちません。自分の意見も言わず「言われたことだけやっていればいい」という投げやりな仕事の仕方になっていくのが普通です。

そんなお母さんの子育てに対し、お父さんも時々自分の考えを言います。しかしお父さん自身も仕事が忙しく、仕事+家事を引き受けているお母さんに対してあまり強いことも言えず、結局、C君の教育はお母さんに任せっぱなしでした。

自分のやりたいことや、言いたいことをあまりとりあげてもらえず、母親から強く押さえつけられてばかりいる中で、C君はしだいにやる気と行動力を失っていきました。

無気力型が強化されるパターン

C君は、家庭での人間関係の中で、
「自分が何か意見を言っても誰も聞いてくれない」
「何か言ってもどうせお母さんの言うとおりにさせられてしまう。」
「考えたり言ったりするだけむだだ。それより最初から人の言うとおりにしていた方が楽だ。」
という考え方をもつようになりました。

そんな考えを持っていますから、学校でも同じように振舞います。

勉強も自分から考えることは苦手です。授業で意見を求められても何も言いません。先生に言われたことには従順に従いますが、自分から進んでやるわけではないので、何をやるにも積極性や創意工夫というものがまるでありません。

勉強でわからないところがあっても、自分から質問するということをしません。こんな態度でしたから、学年が上がるにつれてわからないところがどんどん増えていきます。

担任になった先生の中にもC君のやる気のなさを気にかけてくれて色々対応してくれた人もいました。
授業以外でも居残りで勉強を見てくれたり、いろいろ話を聞いてくれたりしましたが肝心のC君の状態を変えるところまではできませんでした。それに、忙しい仕事の中ではなかなかC君一人にかかわっているわけにはいきません。そのうちに1年が過ぎ担任が変わってしまう、ということを繰り返していました。

無気力型が強化されるパターン



さて、C君のお母さんです。
お母さんは、学校のテストなどの結果については強い関心を持っており、C君が悪い点をとってくると強く叱ります。

ここでも、会社で成績の良くない営業社員を叱咤激励する上司のようなやり方をします。
実は、お母さん自身も中間管理職という立場のため、日ごろから、仕事の成果を具体的な数字で求められています。

そのような仕事のやり方の中で成果を上げて重要な位置についたお母さんは、C君の勉強に対しても同じような考え方で接したのです。

「こんな点で悔しくないの。」
「結果が悪いのは勉強しないからよ。とにかく勉強しなさい。」と言い続けるお母さん。

勉強を一緒に見てわからないところをわかるように教えてくれるわけでもなく、ただテストの点数だけ見て叱られるC君。

点数の低いテストでも良く見れば、努力のあとが見えるものです。以前できていなかった計算ができていたり、○はつかなくても途中までは合っていたり、あるいは以前はテスト前でも何もしなかった子が、今回は教科書を読んでいたりとか…。

何よりも結果が重視される仕事の中で、忙しいお母さんにはそれを見る余裕がありませんでした。

C君も心の底ではお母さんに認められたい、ほめられたいという気があるのです。でも、勉強へのやる気や自分で考える習慣がもともと少ない(少なくなるように育てられた)C君は、学習が高度になるにつれてしだいに成績が下がっていきます。

その結果ますますお母さんに叱られてばかりということになり、そのうちテストを隠すようになります。テストだけではありません。授業参観の通知や色々なお知らせも見せなくなりました。

おかしいと感じたお母さんが机やカバンを探すとひどい点数のテストや、期限の過ぎたアンケートやプリントがたくさん出てきます。みな、くしゃくしゃに丸めてありました。
それを目の前に、お母さんから強くしかられたC君は、そのときはしぶしぶ机に向かって勉強のマネごとをしたのですが、そのうちお母さんがいくら叱っても何やかやと理由をつけて勉強をしなくなりました。

誰にも自尊心があります。それは勉強に自信のない子でも同じです。というより、そういう子ほど、普段から自尊心を傷つけられることが多いので、そういうことにはいっそう敏感です。
このような場合、本人が心の底で恐れているのは、『自分がダメな人間だ』と決定的な烙印(らくいん)を押されることです。

それで、「テストの点が悪いのは勉強しないからで、自分の頭が悪いからじゃない。」そんな言い訳を自分で作っているのです。これは表面の意識には浮かび上がってきませんから、本人も気がつかないことです。
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2. わがまま型(3)

一番良いのは本人が生き方を改めること

一番良いのは、本人が「自分はわがままに生きている」ということを自覚し、それまでの生き方を改めようとすることです。

しかしこれはなかなか難しいことです。

一般的に人間は他人のあら探しは得意ですが、自分のあら探しはなかなかできません。
一般的にと書きましたが、この法則?には自然科学で証明されたような根拠はありません。私の50余年の人生の(苦い)反省から言っていることです。きわめて個人的な考えですが、一般的にと言ってもいいのではないかと思います。

特に若いうちは、自分のことは実像以上に大きく見えるか、必要以上に矮小化して見る傾向があり、等身大の自分を見ることは至難のわざと言えます。

利他の精神

わがまま型から抜け出す道でも述べましたが、自分の生き方の偏りを若いうちに自覚するにも、読書の習慣は有用だと思います
博く学び、深く考えることは自分を知る上でとても大切なことです。

「利他の精神」という言葉がありますが、本当の生き方は、人を利用することではなく、いかに人を生かすか、人に役立つかという生き方をめざすことです。
その場合どうすればよいかは、このシリーズの後半で書こうと思っていますが、真の自主学習を実行すればよいのです。

そしてさらに、人だけでなく、身近な動植物をはじめとする自然や、皆さんが日々接しているパソコンや家電製品などの人工物まで含めて「万物を生かす」生き方が結局自分を生かすことにつながるということが理解できると幸せです。
ところであなたは、今立ち上げているそのパソコンの機能、何%ぐらい生かして使っていますか?
余談ですが、モニターの正面にいるあなたの首の上に載っているそのCPU(大脳)の機能は何%ぐらい使っているでしょう?新品同様ということはありませんよね?
失礼しました。

本人が直そうとしないとき

本人が自分のわがままに気がつかない、気がついても本人がそれを直そうとしないときはどうでしょう。
例に挙げたB君のわがままは、どんな環境で生まれ強化されていったでしょう。

お手伝いさん=B君を泣かせるようなことがあると立場上まずい(と思っていた)ので、はれ物を触るように接した。
母親=仕事で忙しく一緒に遊んでやる時間が少ないことをすまなく思っており、その分B君が欲しいという言うものは何でも買い与えた。

このように、B君のわがままは、B君の成育時の人間関係(周りの人の誤った対応)の中で生まれ強化されていきました。
すなわち生育時の人間関係が第一のポイントです。多くの場合、それは母親を中心とする家族関係の在り方が大きな影響を与えます。

本人がわがままな主張を押し通そうとした時、その主張が受け入れられないわけをきちんと伝えます。それでも本人が自分の主張を押し通そうとして、泣いたりわめいたりしたときは、それを無視することです。静かに立ち去るか、必要によっては本人をその場から遠ざけます。

お母さんはうれしい

大事なことは、親がそのことに感情的に対処しないことです。幼い子のわがままは自己の成長の証ですから。
そして、普段は普通に接することです。がまんができた時、頑張った時、正しいことをした時はほめてあげましょう。

「あなたがそういうことができて、お母さんはうれしい」ということをスキンシップを通じて分かるように、何度も伝えましょう。

こうすれば、わがままを押し通そうとしてもムダなこと、ちゃんとしたことをすればきちんと評価してもらえること、自分の正しい行動でお母さんが喜んでくれること、お母さんがうれしいと自分もうれしいこと、これらを本人は学習し、性格が矯正されていくでしょう。

前回も述べたように、人間は他の動物と違い、赤ん坊という無力な存在として生まれるため、周囲が対処を誤ると、依存から抜け出せなくなります。
自分のわがままから周囲を振りまわす人も、「甘やかされ型」と同じで、依存心から抜け出せないでいるのです。ただ、依存のし方が表面上違うだけです。

「甘やかされ型」が人に頼りきりなのに対し、「わがまま型」は人を自分のわがままに従わせるということで、結局人に依存しているという点では同じなのです。

学習の場でも、どうやって依存を切って自立していくかということが重要なことですが、世の多くの学習塾の指導現場では、ともすれば子どもたちに迎合し、甘えを助長したり、わがままを強化するような指導が行われていると聞きます。残念なことです。

次回は、最近増えている「無気力型」について考えます。
posted by 日々 学 at 15:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2. わがまま型(2)

社会に出て

こんな育ち方をしたB君は大学卒業後、すぐにお父さんの経営する建設会社へ入社しました。

小さな会社でしたが、社長の息子ということで入社して3年もすると、さっそく彼のとりまき、いわゆる腰ぎんちゃくグループができました。これも、B君のわがまま型の性格をさらに強化させることになりました。

機転がきくことと、その強引さで一応の仕事ができたことから、やがて若くしてお父さんの後を継いで、社長になりました。

しかし、しばらくすると、あまり部下の意見を聞かず、自分のやり方を強引に押し通すB社長に見切りをつけて、優秀な人たちがだんだん遠ざかり始めました。

B社長の方でも、社長である自分のやり方に従わない社員を煙たく思っていましたから、父の代から勤めていた社員が定年前に辞めることになっても、それほど気にしませんでした。

B社長についているのは、例の腰ぎんちゃくグループです。彼らは、たとえB社長の仕事のやり方がまずいと思っても、それを口に出すことなどしません。会社の将来よりも、自分の保身が大事なイエスマンばかりです。

その結果は、皆さんの予想のとおりです。徐々に会社の業績が悪化し始めました。

業績が悪化すると、B社長はますます自分のやり方に固執します。自分の考え通りにならないのは、社員のやり方が中途半端だからだと、さらにハッパをかけます。

しかし、こういう会社は一人ひとりの社員が、「良い仕事を目指す」ことで結びついているわけではありませんから、小さなほころびでも、全体が崩れるのはあっという間です。

わずかな金額の不渡りを1度出しただけで、日頃は、「B社長に一生ついていきます。」などと言っているイエスマン達も、沈み始めた泥舟から、我先にと逃げ出してしまいました。

小さなきっかけで、あっけなく会社は倒産してしまいました。
奥さんも子供達も本人の暴君ぶりに愛想を尽かして家から出て行きました。

こんなストーリーが、よく小説や映画でありますね。ここにあげたのは、わがまま型の人物が育っていく極端なパターンですが、B君に対するまわりの人の接し方が、彼のわがままな性格をどんどん強化していったというのが良くわかると思います。

わがまま型の問題解決パターン

この人の問題解決のパターンは次のようになります。

問題が生じる

自分で解決しないで、それを人に押し付ける

押し付けられた人が仕方なくそれを肩代わりする

本人に問題解決能力が育たず、人に押し付けることで結局、人に依存する

成長するにつれて、解決すべき問題も更に大きくなる

ますます人を利用する


このように、自分に起きた問題なのに、その解決を人に押し付けるわがままな本人と、それに振り回され迷惑と思いながらも、問題解決をしぶしぶ肩代わりするまわりの人の存在によって、わがまま型は強化されていきます。

このような、人間関係の在り方を、わがままサイクルとでも名付けておきます。

さて、わがまま型から立ち直る道、わが子をわがまま型にさせない道とはどんな道でしょうか。次回はわがまま型から立ち直る道を考えます。
posted by 日々 学 at 15:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2. わがまま型(1)

わがまま型が育つパターン

↓ ↓

立ち直る道


当塾では『自主学習能力の育成』という指導目標をかかげ、毎日の学習指導を通じて、その実現を目ざしいます。
そして、その具体的な第一歩のステップとして、『態度育成』つまり自主的で積極的な学習態度の育成こそが学習の基本であると考えています。

人がとるさまざまな態度や行動は、その人が意識するしないにかかわらず、その人のそれまでの人間関係が大きく影響をしています。中でも特に、生まれてすぐに接し、生命をゆだねる父母とその家族の人間関係が非常に大きな影響を与えます。

家族を中心とする人間関係がその人の他人や社会に対する態度の原型を作り、態度が性格をつくり、性格が能力の発揮に影響を与えます。もちろん人間の態度や性格、行動は一生固定したものではないということは述べておきますが。

そこで親子のさまざまなタイプを通して、父母を中心とした人間関係とそれが性格や能力に与える影響について考えてみましょう。ここではそれぞれのタイプを大まかに次の7つに分けました。

(1)甘やかされ型
(2)わがまま型
(3)無気力型
(4)反抗型
(5)無知型
(6)我流型
(7)自立型


過保護的な人間関係から育つ甘やかされ型について述べました。
今回は同じ過保護の中で育つわがまま型です。

わがまま型が生まれるパターン


家庭で 
B君はある家庭の長男(一人っ子)として生まれました。お父さんは小さいながら建設関係の会社を経営しています。B君が生まれたのは、ちょうどバブル景気の真っ最中で、お金はあるが両親ともに仕事で忙しく、B君はいつもお手伝いさんに世話をしてもらっていました。

一人しかいない跡取りなので、大切な「坊ちゃん」として、周囲からはれ物にさわるようにして育てられました。
本人が何か欲しいもの、したいことがあると駄々をこねます。駄々をこね続けていると、無茶なことでも、周りが根負けしてそれを許してくれます。

両親も仕事でB君と接する時間がないことを負い目に思っており、子どもの要求にはできるだけこたえてあげたいと思っていました。幸か不幸かバブル景気でお金は十分あります。たまに時間がとれると猫かわいがりします。

また出入りの職人さんたちも仕事の関係から、ことあるごとにB君をかわいがりますし、お陰でB君の周りには小さい頃から、おもちゃがあふれていました。テ○○○ベアという有名な(高価な)クマのぬいぐるみだけでも10個もありました。

それでもというか、それだからというか、B君は満足せず、新しいおもちゃを見るたび「あれ買って、これ買って!」と周りにおねだりします。
「同じものが家にあるから」と言っても、「この次買ってあげるから、今日は我慢しようね。」と言ってもききません。

どんなに言葉で説明しても理解出来ないか、理解しても我慢できないのです。訓練ができていない犬や猫がえさを見つけたときと同じです。「待て!」ができません。小さいときから頭の働きが良い子なのに、こういうときだけはまるで言葉が通じない動物と同じです。

一度欲しいと思ったものは、そのときその場で手に入れないと気がすまないので、これを「今、ここで」思考と呼びます。言葉を持たない動物が、時間や空間を越えて考えることができないこととよく似ています。

3歳の時には、すでにデパートのおもちゃ売り場で仰向けになって、大声を出し手足をバタバタさせる高等戦術も身につけました。これを続けていると、最後にはお母さんが根負けしておもちゃを買ってくれるのです。泣き叫ぶしぐさは、経験とともに上手に大げさになっていきました。主演男優賞ものの演技です。

こんな中で、本人は次第に『自分の望むことは強く主張し続けると、最後はまわりがそれを認めてくれる。母親には「仰向けバタバタ泣き叫び」が一番効果がある。』という考えを持つようになりました。何か困った問題があると人に押しつけます。すると、人がしぶしぶそれをやってくれるのです。
こうしてB君は、
『問題があったら人を利用して解決する』というやり方を身につけていきました。


わがまま型が強化されるパターン


学校で
幼児期を過ぎると学校へ行くことになります。学校では今までと違い、異なった環境で育った多くの子どもとの集団の付き合いが始まります。
普通は、他の子どもたちとの付き合いの中で、わがままは許されないということに気づき、次第に性格がなおってくるのですが、B君はどうだったでしょう。

B君の学校の担任は、子どもの自主性を尊重するという名のもとに、子どもの勝手な行動を大目に見るという傾向のある先生でした。

そういう中で、B君は、授業中の私語や立ち歩きなど勝手な行動をとります。ここでも訓練ができていない犬と同じです。あまりに目に余る時はさすがに担任の先生も注意するのですが、そのときだけ少しおとなしくなりますが、すぐ同じ行動をとります。

我慢したり人から指示されたりするのが耐えられないのです。勉強のやり方でも、先生の指導に従わず自分勝手です。それでも生まれつき結構機転がききましたから、小学生のうちは成績はそれほど悪くはありませんでした。

グループで行動するする場合、人と意見が違う場合が良くあります。そういう時B君は、みんなを強引に自分の都合の良い方向に引っ張っていきたがります。

担任の先生が、その強引さからともすれば孤独になりがちなB君のために、長所をほめてやろうとして、「B君にはグループを引っ張っていくリーダーの素質がある」と評価しましたから、本人は大得意です。先生のこの判断ミスが、B君のわがままをますます強化してしまいました。

本当のリーダーシップは、まわりのみんなの意見をくみ上げて、メンバー一人ひとりが力を発揮できるように導くことなのですが、B君は、ただ自分のわがままを強引に押し通すだけなのです。真のリーダーシップとは、まるで違います。

まわりの人が気が弱かったり、きちんとした自分の考えを持たない人だと、B君のように人にひきづられてしまう危険性があります。

こうしてB君は『自分が言いたいことを強く主張し続けると、最後にはまわりの人が認めてくれる』というとんでもない知恵を身につけ、何か問題があるたびにますます自分のわがままを押し通すようになったのです。

さて次回は、こんな育ち方をしたB君が社会に出ます。彼にはどんな人生が待っているでしょう。
posted by 日々 学 at 15:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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