この頃から、D君は身体が大きくなり、中学に入るときには、お母さんを上回る体格になりました。目線がお母さんを見下ろすようになるとともに、反抗的な態度が表に出るようになってきました。
部活は野球部に入りましたが、そこでも先輩の命令口調が我慢できず1年の夏休み前に退部してしまいました。
その頃には、お母さんが何を言っても聞かなくなり、夏休みを境に、同じような子どもたちと夜遅くまで遊びまわり、学校でも持て余すような反抗を繰り返す子どもになりました。
D君のこういった行動や性格の背景には、幼児期からのお母さんのかまいすぎ(過干渉)があります。
この記事では、親の過保護によって育つ甘やかされ型とわがまま型、過干渉によって育つ無気力型と反抗型について考えてきました。
これらの問題がやっかいなのは、甘やかしたり、抑えつけたりしている人間が、自分がそういうことをしていることになかなか気がつかないということです。
D君のお母さんも、自分がD君を抑えつけ、心の健全な発達をゆがめているなどということは夢にも思っていませんでした。
ただ、D君に自分が思っている理想(に近い)の人間になって欲しい、そうなることがD君にとっても幸せに違いないと考えたのです。その思いが強すぎることをのぞけば、これはたぶんすべての親がわが子に対して抱いている素直な感情でしょう。国が違っても、あるいは時代が違っても人間の親である限り、子どもの幸せを願わない親などいるはずがありません。
ただ、D君の母親はその思いが強すぎたのです。そのために何冊もの教育書を読みました。D君を本に書かれているような理想的な人間に育てることが、自分の務めと思い込み、D君のやることにいちいち口を出したのです。
実は、お母さんがこういう子育てをした裏には、お母さん自身に関係する背景もあるのですが、D君の話を続けましょう。
将来
こんなD君は、社会に出てどんなことになるでしょう。
このままだと、非行グループに入り、そのまま反社会的な存在になってしまうかもしれません。
ここにあげたのは、反抗型の人間が育つ、あるひとつの極端なパターンです。
私たちは、中学、高校の歴史で、次のようなことがあったことを学びました。
独裁者が、武力や経済力で民衆を抑えつける。
↓
表面上おとなしく従っている民衆の中に、反発するグループが育つ。
↓
独裁者の力にかげりが見えたとき、民衆が立ち上がって独裁者を倒す。
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表面上おとなしく従っている民衆の中に、反発するグループが育つ。
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独裁者の力にかげりが見えたとき、民衆が立ち上がって独裁者を倒す。
こうしたことは、有名なフランス革命や、ロシア革命だけでなく、国や地域を問わず地球上のあちこちで、何度も何度もくり返されてきました。
歴史上の話ではなく、国によっては、今現在でも独裁者が君臨し、大多数の国民が自由を奪われ、貧困にあえいでいるところがあります。
実は、私たち一人ひとりの心も同じなのです。人が他の人を抑えつけ、自分の思い通りにしようとすると、抑えつけられた人の心の奥に反発する気持ちが育ちます。それは親子の関係であっても例外ではありません。むしろ四六時中生活を共にする親子であればこそ、深刻な問題に発展することがあるとも言えます。
幼いうちはたいしたことにはなりませんが、そうした抑えつける対応が長く続くと、成長とともにそれが増幅され、やがて火山の爆発のように表面に出てくる場合があります。
その反発は抑えつけていた人にとどまらず、抑えつけていた人が参加している社会そのものへの反抗という形をとることがあります。
反社会的行動をとるもとは、こういったところにもあるのです。
そして、
問題を起こす
↓
周囲から問題児のレッテルを張られる
↓
周囲に敵意を持ち、さらに問題行動を起こす
↓
周囲が力で抑えつけようとする
↓
さらに反発する
↓
周囲から問題児のレッテルを張られる
↓
周囲に敵意を持ち、さらに問題行動を起こす
↓
周囲が力で抑えつけようとする
↓
さらに反発する
このような悪循環におちいっていくケースも多いのです。
反抗型から抜け出す道
反抗的な人間は、他の人から抑えつけられることに一種の恐怖心を持っています。
「おとなしくしていたら自由を奪われる。反発しなければ人の思うとおりにさせられて、自分が消えてしまう。」という恐怖心です。
D君のような場合、お母さんがD君を自分の思いのままにしようとして、その行動にいちいち干渉するタイプだったのですが、社会のみんながみんな、そんな人ばかりではありません。
D君が責任ある行動をとれば、認めてくれる人はいくらでもいるものです。D君がそのことに気がついて、素直に物事を見れば、この世は完全ではありませんが、それなりに自分の生き方を貫けるということが分かるでしょう。
さて、現在のD君に対して、周囲の人たちはどう接すればいいでしょうか。
それは、D君の人格と行動を区別して、問題児という先入観で見るのをやめるべきです。
ことさらに憎むこともなければ、同情することもないのです。下手な同情は、その人を特別視することになります。同情された側から見れば、「自分が下に見られている」と感じ、かえって心を傷つけることになりがちです。まわりの人から同情されていると知って、うれしくなる人は余りいません。
良くない行動は良くない行動ですし、良いことは誰がやっても良いことです。
悪い行動はたしなめればいいし、良い行動は認めてほめればいいのです。そうすれば、本人が自分の行動に気づき、年齢を重ねるとともに社会に順応するようになるでしょう。
「俺もバカなことをやってたなぁ」ということぐらいのことで済むかもしれません。
(反抗型終り。次回は放任から育つ無知型です。)
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